きっかけ
2014-03-04



禺画像]
関東インカレ11連覇、全日本インカレ7制覇...

沢木先生と同級生...そんな事も知らずに
もっと早くこのお二人の出会いを聞いてると
ライバル校の順大に対しても親近感が上がっていたに違いない。
ライバル校であっても心から素直に応援出来てたかも
宮成や服部、小苗に対してくそ〜順大と言ったフィルターはなかったはず!?

45年近く前に
メキシコオリンピック出場を目指し、
模索しアメリカに渡った少年が目にした光景...
それらが元となり、日大や陸上界の基盤や流れを作ったかもしれない。

レクリエーションと言う言葉を知っている日本人がごく数人しかいない頃
ウィスコンシン州立大学でレクリエーションを専攻。
そして、そこでトムテレツ氏と出会った。

などなど...いろんな話を聞きながら澤村先生は、『先取りの名手』だと感じた。
その先取りの名手は、日本スプリント学会の会長を務め在任中に
テキサス ヒューストン大学にて海外研修を行った。
サンタモニカTCの練習を見学し、トムテレツ氏の講義。
多くの人々に感じてもらいたい。
当時の日本では画期的な事だった。

1991年に中道、森長、茂木がヒューストンに渡り、
サンタモニカTCならびヒューストン大学生らとトレーニング。
それから毎年、日大からトムテレツ氏のいる
ヒューストン大学にて合宿を行った。
tiger大学3年生の時は、
短距離ブロックでバイトしお金を貯め約3週間遠征し、
レースにも出場した。

大学側として不安視する事もあって部員で話し合いをいっぱいして
tigerは、過去に2回行っている事もあって
『練習中断してでもバイトして行くべきだ』...とみんなの前で話した。

そんな貴重な経験も先取りの名手がアメリカを後輩たちに見せてやりたい
経験させてあげたい...そんな思いを行動に変えてくれたおかげ。

今ではネタだけど
tigerは、トムテレツ氏に気に入られ
ヒューストン大に留学しないかと打診され
悩み澤村先生に相談したこともあった...次の日に靱帯断裂。
何度もヒューストンへ足を運ぶ中で
ルイスやバレル、マーシュ達と一緒にパーティーに呼んでもらったり
バレルと映画も観に行った。うどんをおごってもらった。
ヒューストン大のバスで遠征試合にも行った。
仲間と『アラモの砦』に行ってアメリカの歴史にも触れた。
澤村先生の好物メキシコ料理を宮田キャプテン率いる短距離のみんなで食べた。
そしてインカレ勝った。

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[陸上選手]

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