結果の予測をしない。
昔、幅跳びをしていた
助走の距離は自分で決める事ができる。
風を受ける方向や調子によって助走距離を変えたりする。
ファールすると記録は成立しないから
小学生のころはそれも知らず
前の人と同じあたりから適当に走っていた。
向かい風を1m/s受けると100mで約70cmぐらい誤差が生じる。
助走距離が40mとしても約28cmの誤差が生じる計算になる。
その計算通り、約一足長普段の距離から前へ移動させることが通常の処理。
これは計算とともに先入観、経験通り状況へ対処したやり方
助走距離を変えず、自然の法則、物理的影響を配慮し動作方法を変えることで
風の影響を抑えた走りが出来る。
状況への対応とチャレンジが伴ったやり方
ルイスがバルセロナオリンピックで実施し有名になったやり方。
この場で跳ばないと陸上人生は終わると思うんだって...。
この二つの対応の違いに対し
時間や努力が重なっていった時どんな違いが生じるのだろうか?
気が付けば...
計算し予測、理想や目標に近づく状態へ仕向けて(意識して)いくこと。
目的のリレーを組んで
そんな方法で自分の内側と外側を満たす数値は作れていた。
よってそれらを類推し、
その精度を上げ磨き上げていくことでプロセスの隙間を埋めるもんだと思っていた。
毎年、その精度が上がっていってる実感があった。
ただ、膜が柔らかく広がるってよりは、厚く強いしこりが出来ているような印象
ダムや堤防を作っている感じ...もしものために・・・。
そして、そのやり方で時間/年齢を重ね教えてくれたのは、萎縮だった。
うまくいくように...ケガをしないようになど意識関与の高い日々だった。
高速で処理されている時に意識の様に付け足す発想は、邪魔な存在になる。
レース中、動きに対して意識が入りやすくなるタイミングがある。
昔、目にした文献によるとほとんどの人が30-60mの間。
自分に都合よく意識してハマった、うまくいったなどという一方で
意識で変わるほどの不安定さを持っている事も露呈している。
自らの上達を目指す時、
どちらの事実に対し、注視するべきか?
レースで意識に左右される感覚は、
わざわざ向かい風のレースを選んで参加する感覚に似ていた。
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